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新潟大学 工学部

1年間の中国留学を経験 情報工学科 4年 成澤 勝さん
自分がゴールだと思っていた留学は
ただの始まりに過ぎなかった。

私は新潟大学へ3年次編入学した編入生です。中学卒業後5年間、国立長野工業高等専門学校、いわゆる「高専」で電子情報工学を専攻していました。

■きっかけはカルチャーショック 高専在学時にタイにある工業大学との交流会に参加したことをきっかけに、留学に興味を持ち始めました。 当時、私は自分の将来について漠然と「日本でなるべく良い会社へ就職して、なるべく良い生活をしなくてはいけない」と考えていました。そんな将来に窮屈さとプレッシャーを感じながらも他にどんな選択肢があるかもわからず悶々とした生活を送っていたのです。そんな折、タイで行われた学生交流会に参加したことで、私の人生に転機が訪れました。 タイの学生達は茹だるような暑さの中、日本では見たことのないような古い機械を使って学習していました。しかし、彼らの目は私の目よりも遥かに活気に溢れ輝いていたのです。多少貧しくても、環境が整っていなくても生き生きとしている彼らとの交流を通して、私は自分の今までの生き方に疑問を持つようになりました。そして、「お金や環境だけで人の幸せが決まるわけではない。自分も輝ける道が世界中のどこかにあるはずだ」と考えるようになり、海外へ行ってみたいという関心を持つようになりました。 しかし、当時の長野高専では留学支援制度が整っておらず、グローバル化人材育成を推進している新潟大学へ編入学してから留学しようと胸を躍らせて編入学しました。

■新潟大学で短期留学を決意 新潟大学へ編入学した頃には将来的に自分に新たな価値観を与えてくれたアジアに貢献したいと考えるようになっていました。留学への志は高かったものの、英語力がそれに追いついておらず、当時のTOEICスコアは400点程度です。至らない語学力でしたが、どうしても留学がしてみたいという一心で新潟大学の留学プログラムを詳しく調べました。新潟大学では素晴らしいことに海外留学ショートプログラムが充実しており、私はそのプログラムを利用して夢であった留学を行うことを決意しました。

■カナダと中国で迷った海外留学ショートプログラム 海外留学ショートプログラムは対象の国やプランも多種多様で、どのプログラムに参加するかを決めるのには相当苦労しました。最終的に候補として残ったのは、夏休みの1ヶ月間、カナダで英語を学ぶプログラムと中国で中国語を学ぶプログラムの2つでした。カナダの場合、自分の英語力の低さに危機感を覚えていたので、英語圏に身をおき、語学力を向上させたいというのが主な志望理由でした。中国の場合、「英語に加えて中国語ができれば、アジアでより活躍できる」と多くの方にアドバイスを頂いたこと、そして中国語なら0から始められるので、英語のように「できない」というコンプレックスを感じずに始められるという利点がありました。中国語も良いなぁと思いつつ、カナダか中国か決めきられずにいました。結局、アジアでより活躍したいという思いが勝ち、英語と中国語ができる人材になれたらいいなぁと楽観的思考で、中国へ行くことを決めました。

■中国清華大学へ1ヵ月短期留学 この年、中国短期留学プログラムに参加した学生は18名でした。私以外は皆文系の学生です。多少の疎外感もありましたが、文系の学生と触れ合う機会が今までなかったので新鮮な気持ちで交流を深めることができました。私は一度も中国語を学んだことがない初心者中の初心者だったので、留学開始前に発音を学習していきました。 留学先の清華大学は、北京市にある中国屈指の理工系総合大学です。授業は平日6時間中国人の先生が全て中国語で中国語を教えるというスタイルでした。私は初級クラスで、発音から基本文法、単語を学習しました。「中国語がわからないのにどうやって中国語で中国語を勉強するのだろう」と疑問に思っていましたが、留学生に教えるプロの先生方の技術もあって、非常にわかりやすい授業でした。 北京での日々は毎日が新鮮で驚きの連続でした。中国のトイレは基本的にトイレットペーパーを便器に流すことができません。私は留学期間中、清華大学の敷地内に併設されている寮に滞在したのですが、代わりにそれを入れる箱が個室内に用意されているのですが、留学初日にうっかりトイレットペーパーをトイレに流して詰まらせてしまい、寮のスタッフのお姉さんに全然分からない中国語で怒られました。 1ヵ月間の留学が終わる頃には、簡単な中国語で会話ができるようになっていました。私がこの短期留学で得たものは語学力というよりも、「海外でも暮らしていける」という自信です。そして、海外で生活する自信がついたと同時に、もっとここで生活してみたい、もっと中国語がうまくなりたいという意欲も出てきました。自分がゴールだと思っていた留学がただの始まりにすぎなかったと気付き、私は1年間の語学留学を決意しました。

■1年間の留学に向けて 工学部生が1年間の中国語学留学で取得できる単位は特殊選択科目「海外研修」の4単位のみです。1年間の語学留学では、ほぼ留年する前提で行かなければなりません。クラスメート達と共に卒業式に出たいという気持ちもありましたが、「1年間語学留学できるチャンスがこの先何度あるだろう、今がその時なのではないか」と思い、留年する覚悟を決めました。 私の決意はかたまりましたが、両親は私が中国に行くことをとても心配していました。なぜなら日中間の国際関係やPM2.5等の環境問題は当時日本でも大きな問題として話題になっていたからです。そのような状況下で、私はなぜ中国に行きたいのかという熱意を両親に伝え、留学・留年する許可を得ることができました。その後、両親の経済的負担を軽減するため、日本学生支援機構へ海外奨学金を申請しました。結果、無事に審査が通り、留学中月々6万円の支給が決まりました。 1年間の留学に向けて中国語の学習を進める必要がありましたが、残された時間はわずか半年程度でした。個人的には中国語の授業をたくさん受講したかったのですが、研究室仮配属や実験等であまり時間に余裕がなく、中国留学準備講座1科目だけを受講することしかできませんでした。授業時間以外には、中国人の友人と中国語で積極的に会話練習を行い、聞き取りと会話の能力強化に努めました。

■中国清華大学、1年間の出来事 2回目となる中国留学、私が通うこととなったのは対外漢語教育センターという場所で、短期留学で授業を受けた場所と全く同じ場所でした。配属されたクラスは15人の少人数クラスです。クラスメートは世界中から集まった人達で、人種も年齢も幅広く職業も学生から社会人と様々な人がいました。クラスのレベルは非常に高く、私以外は皆中国語学習歴が1年以上の人達でした。中には5年も勉強してきたという人もいました。そういった環境だったので、私はクラスで一番中国語ができない学生でした。最初の頃は先生が何を言っているのか全く聞き取れず、何をしたらいいかもわかりません。先生に当てられても「わかりません」しか言えない、そんな毎日でした。毎日毎日恥ずかしい思い、悔しい思いをしながら、それでも負けてなるものかと授業だけは諦めずに参加し、半年後には授業の内容が全て理解できるようになりました。クラスの留学生達とも打ち解け、その頃には留学生活がとても楽しいものになっていました。 夏休みは新潟大学で仲良くなった中国人留学生達の実家でホームステイをしました。私がお邪魔したのは武漢、洛陽の友人達のお家で3つの家庭に合計1ヵ月ほど泊めていただきました。どの家庭のご両親も中国の方言しか喋れない方達だったので、私はご両親達の言っていることを全く聞き取ることができません。友人にご両親のお話を方言から普通話(標準的な中国語)に翻訳してもらいながらコミュニケーションをとっていました。ホームステイを終える頃には中国の一般家庭の雰囲気にも慣れ、ご両親の話す方言も少し理解できるようになり、実りある夏休みを過ごすことができました。どのご家庭にもとても温かく迎えて頂いて素晴らしいホームステイ生活でした。 中国留学中に留学生として強く感じたことは英語の重要性でした。クラスメートは皆外国人(私にとっても、中国人にとっても)ですので、プライベートでは英語でコミュニケーションを取り合う人も少なからずいました。そういった場面で英語が喋れず、輪に入れないことが多々あり、悔しい思いをたくさんしました。また会話していて中国語が通じない場合は、どうしても共通語として英語は必要になってきます。「中国にいるのだから中国語が喋れればいい」という考えもありますが、私は外国人として英語が喋れないことは致命的であると痛感しました。今まで英語から逃げてきた人生でしたが、そういった背景もあり、留学終盤ではアメリカ人、イギリス人のクラスメートに英語のプライベートレッスンをお願いして英語の学習も始めました。 色々あった1年間でしたが、留学を終える頃には中国政府公認中国語能力試験である新HSK で最上級の6級を取得することができました。

■語学留学を終えて・進路選択 結果として留年しましたが、私にとっては価値ある1年となりました。中国のことを深く理解できたというのもそうですが、外国から日本を見ることで、日本にいてはわからない日本のことがわかったような気がします。交友関係も広がり、中国だけではなく世界中の国の友人ができました。 1年間の留学を終えて、自分の成長に概ね満足しているのですが、未だに両手を挙げて喜べない部分があります。それはまだまだ語学力が足りないということです。中国語初学者が1年間留学した程度では中国語もネイティブのようにはなりませんし、日常会話ができるというレベルです。英語の能力についても不十分といえるでしょう。そういった点から、このまま「ああ、語学留学行ってよかった」で終わってはいけないと思いました。そして、今まで培った語学力と工学部生の主分野でもある専門技術を活かした研究活動がしたいと思うようになりました。進路としては新潟大学自然科学研究科を考えましたが、修士課程ではダブルディグリー制度や留学制度など、そういった制度が整っていないという現状だったため、日中両国で研究を行うことができる清華大学と東京工業大学のダブルディグリープログラムへ参加することにしました。 語学といえば英語を最初に思い浮かべる方がほとんどだと思います。しかし英語の他にも影響力のある言語がたくさんあり、英語が苦手だからといって他の言語習得も苦手意識を持って接するのは非常に勿体無いです。例えば英語が苦手な人がいたとして、その人に他の言語を学んだ経験がなければ、その人が「語学全般が苦手」なのか「英語が苦手」なのか、自身の弱点を知ることができません。多言語を学習して初めて英語という言語を相対的に評価できるようになります。私は英語が苦手だったので中国語を始め、中国語ができるようになったことで、英語への苦手意識も克服されました。英語が苦手だという人は我慢して英語の勉強をするのではなく、他の言語に手を出してみるという選択肢もアリです。思わぬ発見があるかもしれませんよ。
(平成26年度掲載)


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